今日もははこ日和
2018.08.07 コラム ははこサークル
【コラム】はじめまして。食育担当 烏帽子真理です

こんにちは!

 

8月のコラムは私、烏帽子が担当です^^。

↑これは、今年の夏、家族で野外フェスに行った時の1枚。
実はレゲエと3代目が大好きなのです♡

 

 

 

まず、はじめに苗字は烏帽子と書いて
えぼしと読みます。

 

 

よく「何と読むのですか?」と聞かれるのですが
書くのも読むのもなかなか覚えにくいと思いますので
皆さんからはマリ先生と呼んでいただくことが多いです。

 

 

 

普段は阪急宝塚線「石橋駅」より徒歩12分の
お子様連れOKの自宅教室で
大人のための食育をテーマにした
おだしと和食の食育料理教室[babybird]として活動していますが
ははこ助産院では離乳食講座や季節ごとの手作りWSなどを
担当させていただいています。

 

 

そんな私のプロフィールですが
1981年 奈良県宇陀郡(現・奈良県宇陀市)で
三人姉妹の末っ子として生まれました。

 

 

小さいころから食道楽な父のそばにくっつき、なんでもよく食べる子だったそうで
物心ついた時にはなまこやイカの塩辛なんかも大好きだったような…。

 

 

一方、小説を読むのが大好きな母や姉の影響もあり、家の本棚から
気が向いたものを取り出しては、本もよく読んでいました。

 

特に分厚い若草物語や不思議の国のアリス、鏡の国のアリス、クレヨン王国シリーズなどは
物語のなかに吸い込まれるように心を奪われ
何度も何度も読んでいました。

幼稚園の頃には自分で絵を描いたり、物語を作って
手作りの絵本をおじいちゃんにプレゼントした記憶もあります。

 

 

 

小学1年生の夏休み、6年生だった2番目の姉が
朝から玉子焼きを作っていました。

 

「私も作りたい!」と横に立ち
毎日、毎日、上手になりたくて
夏休みの朝は玉子焼きを作り続けました。

 

私があまりに作るので
姉がやる気をなくすほど(笑)。

 

初めて作った料理は玉子焼き。
そして、そのことを夏休みの生活作文に書き
学年代表に選ばれ、学校代表にもなり
郡の発表会に出してもらいました。

 

 

「こんこん、かしゃかしゃ、じゅーっ。
あつあつのフライパンにたまごをながしいれます。」

 

あのときの作文の書き出しは今でも覚えています。
「私は、から作文や日記を書き出すのはおもしろくない」
と、母の赤入れが入ったことも(笑)。

 

 

以来、私は母の料理をする姿を台所で見て
どんな料理のときはどういう風な切り方がいいなとか
材料を入れる順番や味付けなどを盗み見し
料理本を読んだり、料理番組を見比べたりしながら
独学でレシピを覚えていきました。

 

 

 

月日はどーんと流れ
大学を卒業をし、京都の広告代理店に就職します。

 

 

そこでは営業をしていたのですが
もともと小説家になりたいなという夢も
高校時代から片隅にあったりしたので
コピーを書くことへの想いがどんどん募っていき
退社後は、フリーライターとして、webや雑誌で
主にグルメライターとして活動を始めました。
(このあたり、お世話になった方がたくさんいたり
不思議なご縁があったり、夫となる人と出会ったりと
エピソードはたくさんあるのですが、止む無く割愛!)

 

 

 

欲張りなのですが、当時
一人暮らしをしているまわりの女性たちが
おだしの引き方を知らなかったり
味付けはなんでも市販のめんつゆでしていることなどに
とても危機感のようなものを感じていたこともあり
50歳くらいになって、子育てが落ち着いたら
自分が田舎のおばあちゃんに作ってもらっていたような
昔ながらの家庭料理の料理教室をしたいなという
想いも同時に膨らんでいました。
(これが今、糠漬け教室や味噌づくり教室をしていることに
つながっています)

 

 

 

玉子焼きを作り、生活作文に書いた6歳の私が
「書くことを仕事にしたい!」
「料理教室をしたい!」
と、24歳の私につながります。

 

 

 

その後数年、たくさんの料理人さんに取材をさせていただく中で
みなさんそれぞれに、何を大切にして料理を作り
お店を経営されているのかということを
一番、近い距離で、生の声で聞かせていただくことができ
自分の中で、料理教室への想いも膨らんでいきました。

 

 

夢への一歩のために
調理師の免許を取ったのも、この頃です。

 

 

 

私は料理教室の先生になるために
特別な学校に通ったりはしていませんが
多くの料理人さんと出会えたことと
たったひとり、取材で出会った師匠と呼べる先生との出会いがあり
子どものころから料理のレシピはたくさん知っていても
どうしても独学では埋まりきらなかった
火入れのタイミングや、発酵食への知識など
細かなピースをたくさんいただいたと思っています。

 

 

 

それから、21歳で卵巣嚢腫を患ったことで
食の大切さを身を以って経験したことが
自分のなかで「おにぎりとお味噌汁さえあれば!」
という軸になりました。

 

 

 

しかし、結婚し、出産をしたら
長女は卵アレルギー。

 

「あんなにオーガニックにこだわって、食に気をつけていたのに!?」
というショックな気持ちを乗り越え、なるときはなるという覚悟も身につきました。
(当時の私の知識はまだまだ狭く、非オーガニックと卵アレルギーは
直接の原因にはならないのに、こんなふうに考えていたのです…。反省)

 

 

 

その時にそれまでに学んだオーガニックや薬膳
マクロビオティックの知識だけでは納得できず
離乳食や幼児食について勉強をしました。

 

 

 

アレルギーがあるから、産んだ私はダメということではなく
アレルギーがあるなら、共存し、楽しく改善していけばいいと
人と比べないことも学んでいけました。

 

 

 

母親になってから、すぐになんでも
自分で抱え込んでしまうようになっていました。

 

長女を育てる中で、たくさんの悩みや
人には言えない苦しさにもぶつかりましたが
とても単純なことに、私はおいしいものさえ食べられたら
すぐに機嫌がなおるタイプでもあったので
育児中こそ、自分を最優先にと考え
「自分のために!」を意識的に実践し
お昼ごはんはたとえ素うどんであっても
5分だけ心をかけておだしを引いたり

手作りの梅干しをのせたりしていました。

 

 

時には、母乳でふらふらになっている自分のために
どーんとステーキを焼いてみたりもしていました。

 

 

娘が1歳前になるころから、仕事も再開していたのですが
1歳7か月のときに保育園に入園が決まりました。

 

 

それと同時に、今、この子育てを経験をしているときだからこそ
「自分のために」の大切さを多くの女性に知ってもらいたいなと
大人のための食育というテーマで
おだしと和食の食育料理教室を立ち上げました。

 

そして、今にいたります。

 

ははこ助産院のレッスンでも気をつけていることは
「こうであらねば!」という思いを断捨離してもらうこと。

 

 

ただでさえ、赤ちゃんのこと、家族のことで気を取られているママさんに
1日3度ある食事のことで、これ以上、負担を感じて欲しくないなと思うからです。

 

 

 

「手間をかけずに、心をかけて」。
例え、切るだけ、ちぎるだけのサラダであっても
食べる人が口に入れやすい大きさか
箸で食べるのかフォークで食べるのかなどに
心をかけるだけで、本当においしくなります。

 

 

 

やっつけ仕事のようにぽいぽいサラダボウルに放り込むのではなく
どんな野菜が入っているのかを見やすく盛り付けようと
心をかけるだけで、見栄えがよくなります。

 

これはいつもの行程の中で、自分の気持ちをすこーしだけ
食べる人に向けるだけなのです。

 

 

 

特別なドレッシングやオーガニック野菜でなくとも
きちんと洗い、水を切り
家族構成によってや、子ども達の歯の生え替わりなどによって変わる
食べやすい大きさに心をかけるだけ。

 

配慮というものかもしれません。

 

そんなことを肩の力を抜いて
わかりやすい言葉と方法で知ってもらいたいなと
いつも思っています。

 

 

 

夏は、ははこ助産院でのレッスンは募集はありませんが
11月と12月にまた、楽しいWSを予定していますので
秋以降の告知を見ていただけたらなと思います。

 

 

 

長くなりましたが
読んでいただいてありがとうございました。